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事業概要
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地区の沿革
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本地区は宮崎県の中南部、宮崎県の中心部を流れる大淀川の下流域左右岸に位置し、標高5〜220mに形成された火山噴出物の堆積した畑大地と、
大淀川及びその支流河川により侵食形成された沖積平野の水田地帯から構成されている農用地約1,800haの農業地帯です。
事業地域は、上流域より、小林市、東諸県郡綾町、宮崎市の2市1町にまたがっています。
本地区の土壌は、全般的に火山灰で覆われており、霧島火山灰を母材とした特殊土壌大地(黒ボク、赤ホヤ等)です。
畑地は用水施設が未整備であり、さといも、だいこん等の露地野菜、飼料作物等の畑作物を中心とした不安定かつ生産性の低い農業が行われていました。
水田は大小5本の小河川とため池及び既設の岩前頭首工(団体営事業で築造され昭和5年完成)に依存していますが、小規模な用水施設のため老朽化も進んでいることから、
恒常的な水不足をきたしていました。
昭和42年〜43年は近年稀にみる干ばつの年で、昭和42年6月及び8月に干ばつ対策本部の設置、ついで翌43年3月〜4月にも早期水稲干ばつ対策本部が設置される等、
異常気象が続きました。
その間、県においても県下全滅の被害実態調査を続け、その水源対策についても色々検討が加えられました。
一方、県下有数の畑作地帯で昭和32年に着工された国営綾川地区土地改良事業が42年6月に通水開始し、翌43年6月には、兼営水路の通水テストも行われ、
県下における大規模かんがい事業は実用化の第一歩を踏み出しました。
また、43年5月には、西都市ほか3ヶ町の耕地約4,300ha(水田800、畑3,500)を対象とした国営一ツ瀬川地区土地改良事業の調査が開始されました。
このような一連の機運にあって、県下の関係市町村より綾川地区、一ツ瀬川地区のような大規模の農業基盤整備を前提にした諸調査の開始の陳情要望が県や国に行われました。
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事業経緯
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昭和42年〜43年の干ばつ及び畑作進行の機運を契機として、左岸土地改良事業の調査が開始されましたが、その経緯は概ね次の通りです。
昭和44年10月に南九州地域大淀川左岸地区水利開発事業促進期成同盟会が結成され、強力に調査要望がなされ、同年、南九州広域農業開発基本調査が開始されました。
昭和46年左岸地区の直轄調査が始まり、翌47年には、宮崎県大淀川下流土地改良事務所が設置され、県も事業推進を強化しました。
昭和49年5月に大淀川左岸地区土地改良事業促進協議会が発足し、昭和54年2月に事業計画が確定しました。
しかし、事業着手以来、地域農業を取りまく社会経済情勢の変動、農産物価格の低迷、受益地変動による用水系統の見直し、労賃、物価の変動、事業量の変更、工法の変更等
により平成2年度と平成15年度の2回計画変更を行いました。
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変更計画の内容
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平成2年度と平成15年度の変更の概要は以下の通りです。
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受益面積の変更
事 業 名 |
当初計画 (昭和53年度) |
第1回変更後 (平成2年度) |
第2回変更後 (平成15年度) |
農業用用排水 |
1,950ha |
1,950ha |
1,664ha |
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事業量の変更
施 設 名 |
当初計画 (昭和53年度) |
第1回変更後 (平成2年度) |
第2回変更後 (平成15年度) |
用水路 |
43.9km |
54.8km |
66.8km |
頭首工 |
1ケ所 |
1ケ所 |
1ケ所 |
ファームポンド |
6ケ所 |
7ケ所 |
7ケ所 |
揚水機場 |
5ケ所 |
5ケ所 |
6ケ所 |
小水力発電所 |
0ケ所 |
0ケ所 |
1ケ所 |
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事業費の変更
事 業 名 |
当初計画 (昭和53年度) |
第1回変更後 (平成2年度) |
第2回変更後 (平成15年度) |
農業用用排水 |
13,000百万円 |
27,000百万円 |
52,000百万円 |
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当初計画の経緯
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1971年(昭和46年) 〜 1973年(昭和48年) | 地区調査 |
1974年(昭和49年) 〜 1977年(昭和52年) | 全体実施設計 |
1978年(昭和53年)10月 2日 | 事業施行申請 |
1978年(昭和53年)12月16日 | 適否の決定 |
1978年(昭和53年)12月19日 | 広告縦覧 |
1979年(昭和54年) 2月15日 | 事業計画確定 |
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第1回変更計画の経緯
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1989年(平成元年) 7月 6日 | 計画変更委員会 |
1990年(平成 2年) 2月28日 〜 同年 3月15日 | 県知事及び市町村長協議 |
1990年(平成 2年) 3月23日 | 変更計画概要広告 |
1990年(平成 2年)12月 3日 | 変更計画決定 |
1990年(平成 2年)12月 4日 | 広告縦覧 |
1991年(平成 3年) 1月23日 | 変更計画確定 |
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第2回変更計画の経緯
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2000年(平成12年) 3月14日 | 計画変更委員会 |
2001年(平成13年) 7月 9日 〜 同年 7月31日 | 県知事及び市町村長協議 |
2001年(平成13年) 8月27日 | 変更計画概要広告 |
2003年(平成15年)11月25日 | 変更計画決定 |
2003年(平成15年)11月26日 | 広告縦覧 |
2004年(平成16年) 1月21日 | 変更計画確定 |
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主要工事の概要
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主要工事の施工経過
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1974年(昭和49年) 4月 1日 | 大淀川左岸地区土地改良事業促進協議会設立 |
1979年(昭和54年) 2月 2日 | 事業着工申請(大淀川左岸土地改良事業計画確定) |
1982年度(昭和57年度) | 幹支線水路工事に着手 |
1989年(平成元年) 3月31日 | 広沢ダム河川協議成立 |
1990年(平成 2年) 5月30日 | 広沢ダム定礎式 |
1992年(平成 4年)12月 1日 | 内山調整池着手(平成16年 3月12日完成) |
1993年(平成 5年) 10月 | 幹線導水路着手(平成 7年 3月 7日貫通) |
1995年(平成 7年) | 広沢ダム本体工完成 |
1997年(平成 9年) 3月14日 | 岩前頭首工着手(平成10年 7月21日完成) |
1997年(平成 9年)11月20日 | 広沢ダム一部使用協議同意 広沢ダム試験湛水 |
1999年(平成11年) 7月13日 | 本庄川水管橋工事着手(平成12年 3月23日完成) |
2000年(平成12年) 3月28日 | ダム完成検査合格 |
2000年(平成12年)11月 1日 | 二反野原揚水機場着手(平成13年 3月28日完成) |
2003年(平成15年) 8月12日 | 中央管理所着手(平成17年 3月22日完成) |
2004年(平成16年) 3月31日 | 小水力発電所着手(平成17年 3月17日完成) |
2005年(平成17年) 2月28日 | 大淀川左岸土地改良区設立(理事16名、監事3名、総代42名) |
2005年(平成17年) 3月31日 | 国営大淀川左岸土地改良事業完了 |
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